「自分」についての意識の変化

20年ほど前、「自分探し」というものが流行していました。私の周りにも、「自分を探すため」と称して自転車で国内を転々としたり、バックパックで海外を回ったりする人たちがいましたし、そうした行動には移さないまでも、自分とはなんだろうと漠然と考える人で溢れていました。ところが、いつの頃からか、「自分などというものはないんだ」などという論調が持ち上がり、場合によっては、自分探しをする人々は、自意識過剰であるなどと批判的にみなされることまで出てきて、「自分探し」の流行は消失していきました。
変わって登場したのは、たとえばSNSなどです。「自分探し」が、日常から離れて孤立して自分と向き合うことで、「自分」というものを確立しようとしていたのに対し、今度はネットワークの結び目としての存在として自分を捉えるようになったのです。仏教に、「一切の存在は実体がなく無であり、他との縁によって生起する」という「縁起」という説がありますが、それと似ているでしょうか。まさに他者との関係によって自分が規定されるようになったわけです。
この自己意識の変化は、とても大きなものだろうと思います。自分というものに対する認識が、根本から変わってしまったわけですから。
この自己意識の変化と呼応するように、精神医学の領域にも大きな変化が訪れます。それまでは、神経症や人格障害という、いってみれば自己を確立するに際して起こってくる葛藤に由来する病が多かったのですが、いまは発達障害と呼ばれるものが爆発的に増えています。発達障害とは、「社会的なコミュニケーションの障害」や「狭くて繰り返される興味や活動」といったものに特徴づけられますが、こうした問題の背景に、「自分のなさ」、「主体のなさ」といったものがあるといわれています。
このように、心の苦しみを抱えている人々の背景には、時代とともに移り変わる自己意識の変化があると考えざるを得ません。
「自己意識」というのは、心理学にとって、中核的な概念です。以前は、心理学は、こころとはなんなのか、内省的な方法によって思考していましたが、その方法が通用しない場合が増えてきています。こころというものが、こころについて考えるだけではとらえられなくなってきているのです。そのためか、最近は心理学という学問自体、学際的になってきているように思えます。おそらくこれからも、「自分」について、それから「こころ」について、捉え方が時代とともに変わっていくのでしょう。